真言宗の総本山に納骨する方法は?高野山の歴史なども紹介

【真言宗 本山納骨】アイキャッチ

真言宗の本山納骨とは?徹底解説

  • 真言宗の本山、高野山金剛峯寺では戒名があれば宗派不問で納骨可
  • 標高900mの高野山には117寺院があり、世界遺産にも登録
  • 新大阪から電車、ケーブルカー、バスで高野山金剛峯寺へアクセス
  • 高野山では開眼、撥遣、焚き上げなどの供養サービスを提供

真言宗の総本山は、神聖な場所として、今も人々からのあつい信仰を集め続けています。
平安時代から約1200年の歴史をもつ、真言宗の総本山に納骨したいと思っている人も多いかと思います。

この記事を読めば、真言宗の総本山に納骨する方法や費用を詳しく知ることができます。
また、真言宗の総本山がどのような場所なのかもまとめているので、総本山について深く理解したうえで納骨を行うことができますよ。

初めに、真言宗の総本山はどこなのかを見ていきましょう。

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この記事の目次

  1. 真言宗の総本山は和歌山県にある高野山金剛峯寺
  2. 真言宗の概要
  3. 真言宗の歴史
  4. 高野山金剛峯寺の概要
  5. 高野山金剛峯寺へのアクセス方法
  6. 高野山金剛峯寺には宿泊できるお寺「宿坊(しゅくぼう)」がある
  7. 【宗旨・宗派は問わない】高野山金剛峯寺に納骨する方法
  8. 高野山金剛峯寺で行っている供養の種類と費用
  9. まとめ
  10. 監修者コメント

真言宗の総本山は和歌山県にある高野山金剛峯寺

真言宗の本山

全国のお寺を統轄している、大元となるお寺を「総本山(そうほんざん)」と呼びます。

真言宗の総本山は、和歌山県伊都郡にある「高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)」です。
高野山金剛峯寺は「高野山」とも呼ばれており、現在でも修行の道場として、神聖視されています。
なお、高野山とは1つの山の名前ではなく、8つの山に囲まれた盆地全体を「高野山」と呼びます。

高野山金剛峯寺の他にも、真言宗にはゆかりの深いお寺がありますので、次の章で解説していきます。

真言宗には18の本山がある

真言宗は、現在約50の宗派に分かれています。

そのうちの主要な16派には、18の本山があり「真言宗十八本山(しんごんしゅうじゅうはちほんざん)」と呼ばれています。
この「真言宗十八本山」は、各宗派の大元締めである「総本山」と、元締めである「大本山(だいほんざん)」で構成されています。

では、主要な16派と、真言宗十八本山を一覧にしましたので、確認していきましょう。

宗派本山所在地
高野山真言宗
(こうやさんしんごんしゅう)
総本山高野山 金剛峯寺
(こうやさん こんごうぶじ)
和歌山県伊都郡高野町
真言宗善通寺派
(しんごんしゅうぜんつうじは)
総本山五岳山 善通寺
(ごがくさん ぜんつうじ)
香川県善通寺市
大本山牛皮山 随心院
(ごひさん ずいしんにん)
京都市山科区
真言宗御室派
(しんごんしゅうおむろは)
総本山大内山 仁和寺
(おおうちさん にんなじ)
京都市右京区
真言宗智山派
(しんごんしゅうちさんは)
総本山五百佛山 智積院
(いよぶっちょうさん ちしゃくいん)
京都市東山区
真言宗泉涌寺派
(しんごんしゅうせんにゅうじは)
総本山東山 泉涌寺
(とうざん せんにゅうじ)
京都市東山区
東寺真言宗
(とうじしんごんしゅう)
総本山八幡山 教王護国寺(東寺)
(はちまんさん きょうおうごこくじ)(とうじ)
京都市南区
真言宗醍醐派
(しんごんしゅうだいごは)
総本山深雪山 醍醐寺
(みゆきざん だいごじ)
京都市伏見区
信貴山真言宗
(しぎさんしんごんしゅう)
総本山信貴山 朝護孫子寺
(しぎさん ちょうごそんしじ)
奈良県生駒郡平郡町
真言宗豊山派
(しんごんしゅうぶざんは)
総本山豊山 長谷寺
(ぶざん はせでら)
奈良県桜井市
新義真言宗
(しんぎしんごんしゅう)
総本山一乗山 根来寺
(いちじょうざん ねごろじ)
和歌山県岩出市
真言律宗
(しんごんりっしゅう)
総本山勝宝寺 西大寺
(しょうほうざん さいだいじ)
奈良県奈良市
大本山生駒山 宝山寺
(いこまさん ほうざんじ)
奈良県生駒市
真言宗須磨寺派
(しんごんしゅうすまでらは)
大本山上野山 福祥寺(須磨寺)
(じょうやさん ふくしょうじ)(すまでら)
兵庫県神戸市
真言三宝宗
(しんごんさんぽうしゅう)
大本山蓬莱山 清澄寺
(ほうらいさん せいちょうじ)
兵庫県宝塚市
真言宗中山寺派
(しんごんしゅうなかやまでらは)
大本山紫雲山 中山寺
(しうんざん なかやまでら)
兵庫県宝塚市
真言宗大覚寺派
(しんごんしゅうだいかくじは)
大本山嵯峨山 大覚寺
(さがさん だいかくじ)
京都市右京区
真言宗山階派
(しんごんしゅうやましなは)
大本山亀甲山 勧修寺
(きっこうざん かじゅうじ)
京都市山科区

ここまで、真言宗の本山について紹介してきました。
次は、真言宗とはどのような宗派なのかを、説明していきます。

真言宗の概要

ここからは、真言宗の概要について簡単に解説していきます。
まずは、真言宗を開いた人物である「開祖(かいそ)」は誰なのかを確認していきましょう。

真言宗の開祖は空海

真言宗は、平安時代初期の806年に、「空海(くうかい)」によって開かれました。
「空海」は、別名「弘法大師(こうぼうだいし)」とも呼ばれている人物です。

空海の銅像

真言宗の教え

真言宗の教えは、生きている間に修行をすれば、今のこの体のままで仏になれるという「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」というものです。
なお、真言宗の根本となる教えが書かれた「根本経典(こんぽんきょうてん)」という書物は、「大日経」「金剛頂経(こんごうちょうきょう)」です。

次は、真言宗の歴史を紹介していきます。

真言宗の歴史

真言宗が空海によって開かれるまで、そして真言宗が開かれてから一つの宗派として確立するまで、真言宗はどのような歴史を歩んできたのかを、順番に見ていきましょう。
まずは、空海の生い立ちから解説していきます。

空海の生い立ち

空海は、現在の香川県である「讃岐国(さぬきのくに)」の権力者の子として生まれました。
幼いころから優秀だった空海は、15歳で学問のために親元を離れ、当時の都「長岡京(ながおかきょう)」に上りました。
その後、18歳で大学に入学した空海は、今で言うと、将来が保証されたエリートコースに乗ったのです。
しかし、出世することに意味を見出せなかった空海は、次第に仏教にひかれていきました。
そして、空海は大学をやめて、修行僧となったのです。

真言宗が開かれるまでの歴史

【空海が真言宗を開くまでの流れ】

  • 大日経から真言宗の根本となる教えを見つける
  • 正統な密教を中国の僧侶から受け継ぐ
  • 真言宗を開く

空海が真言宗を開くまでの流れを確認したら、次は真言宗の歴史を詳しく説明していきます。

大日経から真言宗の根本となる教えを見つける

主に現在の四国地方で壮絶な修行をした空海は、修行の場所を奈良へと移しました。
空海は奈良で、真言宗の根本となる教えが書かれた「大日経(だいにちきょう)」という書物と出合います。
そこから空海は「大日経」の研究に明け暮れる日々を送りましたが、「大日経」の教えをもっと詳しく理解するため、中国へと渡りました。
空海が中国を選んだ理由は、当時の中国には「大日経」の教えを実践している「密教(みっきょう)」という宗派があったからです。

正統な密教を中国の僧侶から受け継ぐ

空海は、中国で正統な密教を受け継ぐ「恵果(けいか)」という、優れた僧侶のもとで修行しました。
空海のたぐいまれなる才能を見抜いた恵果は、中国にいた1000人の弟子ではなく、空海に密教の奥義を伝承しました。
これにより、密教の正統な流れは、中国ではなく日本へと伝わることとなります。

真言宗を開く

中国から帰国した空海は、日本で真言宗を開きました。
そして、当時の天皇である「嵯峨天皇(さがてんのう)」のもとで、仏の力によって国家を守護し、安定させるための儀式を行いました。
天皇のもとで儀式を行ったことで、空海の名は全国に広まり、弟子や信者など多くの人々が空海のもとに集まりました。

その後、空海は再び四国をまわりますが、その時に空海は、88のお寺を定めて1つのコースを作り上げました。
この88のお寺は現在の「四国八十八カ所めぐり」、すなわち「お遍路(へんろ)」のコースとなっています。

そして、空海は嵯峨天皇から高野山の土地をもらい受け、高野山を真言宗の道場としました。

空海の功績と真言宗の発展

高野山に道場を開いたあとも、空海は弟子とともに各地をめぐり、飢えや貧困に苦悩する民衆の救済や、毎年のように決壊していた池の堤防の工事を行うなど、社会への貢献を続けました。
ちなみに、空海が築いた池の堤防の工法は、現在でも世界中の技術者たちが堤防の見学にくるほどの、非常に画期的な方法でした。
他にも、日本初の民間学校を創立するなど、仏教以外のことにも卓越した才能を生かし、めざましい活躍をした空海は、835年、高野山にて62年の生涯に幕を閉じました。

その後、空海の弟子たちによって、真言宗は京都を中心に、全国へと発展していきました。

次は、真言宗の総本山である「高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)」の概要について、確認していきましょう。

高野山金剛峯寺の概要

真言宗の本山高野山金剛峯寺と紅葉の様子

ここからは、真言宗の総本山「高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)」について見ていきましょう。
標高約900mの場所に位置する「高野山金剛峯寺」には、約4万8千坪もの広大な敷地内に、117のお寺があります。
2004年に、高野山金剛峯寺は「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として、ユネスコの世界遺産に登録されました。

では、高野山金剛峯寺が建てられた経緯や歴史について、説明していきます。

建立背景と歴史

高野山金剛峯寺は816年、空海によって建立されました。

空海が青年時代に修行のため山野をめぐっていた時に、高野山こそ修行にふさわしい、山深くひっそりとした神聖な場所だと感じたことから、空海は高野山を選びました。
嵯峨天皇から高野山をもらい受けたあと、高野山は真言宗の道場とされ、空海や弟子たちによって建物の建設が開始されました。

しかし、高野山金剛峯寺の建設は、当初は寄付が多く集まらず、金銭的な問題でなかなか前に進みませんでした。そして、「檀上伽藍(だんじょうがらん)」と呼ばれる、高野山金剛峯寺の中核となる建物群の完成を見ることなく、空海は「入定(にゅうじょう)」、すなわち他界しました。

空海が入定してからおよそ160年後の、994年には、落雷による火災のためほとんどの建物を失います。行き場を失った高野山金剛峯寺の僧侶や修行僧たちがみんな高野山を下りたことで、高野山金剛峯寺は一時期、荒廃してしまいます。

しかしその後、天皇を退位した「白河上皇」や「鳥羽上皇」、権力者の「藤原道長(ふじわらのみちなが)」や、鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)の妻である「北条政子(ほうじょうまさこ)」、戦国大名の「上杉謙信(うえすぎけんしん)」、「豊臣秀吉」などの寄付によって、高野山金剛峯寺は復興し、多くの建物が建てられました。

なお、高野山金剛峯寺は、約1200年の歴史の中で何度か火災に見舞われているので、創建当時の建物は残っておらず、現在の建物は再建されたものとなっています。

高野山内の主な建物と拝観時間

高野山の敷地内にある、主な建物と拝観時間などを紹介します。
まずは、高野山の中心となる建物群の「檀上伽藍(だんじょうがらん)」から見ていきましょう。

高野山のほとんどの行事が行われる檀上伽藍(だんじょうがらん)

「檀上伽藍(だんじょうがらん)」は、高野山での重要な行事のほとんどが行われている場所です。

この檀上伽藍は、高野山の二大聖地のうちのひとつで、高野山の入り口にある「大門(だいもん)」という門から、東へ500mほど進んだ場所にあります。檀上伽藍には、真言宗で最も尊重されている仏像をまつっている「金堂(こんどう)」や、真言宗の根本道場におけるシンボルとして建立された「大塔(だいとう)」などがあり、色彩豊かな仏像や絵画などを見ることができます。

檀上伽藍で拝観料が必要となる場所は「金堂」と「大塔」のみで、他の建物などでは拝観料は不要です。

拝観時間拝観料
金堂午前8時30分 ~ 午後5時
(拝観受付は午後4時30分まで)
一般:500円
根本大塔

なお、金堂と大塔では、それぞれ拝観料が必要となります。

金剛峯寺

高野山金剛峯寺の敷地の中央に位置する「金剛峯寺」は、高野山全体の事務や運営といった「宗務(しゅうむ)」が行われている場所です。
金剛峯寺内の各部屋では数々のふすま絵を見ることができ、「新別殿(しんべつでん)」という大広間は、参拝者の休憩所としても利用されています。

また、「新別殿」では、僧侶の話である「法話(ほうわ)」が不定期で行われています。
他にも、「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」という、庭木をほとんど使わずに岩や石と砂でつくられた、日本最大級の「石庭(せきてい)」も金剛峯寺の見どころの一つとなっています。

拝観時間拝観料
金剛峯寺午前8時30分 ~ 午後5時
(拝観受付は午後4時30分まで)
一般:1,000円
小学生:300円

奥之院

「奥之院(おくのいん)」は、檀上伽藍とならんで高野山の二大聖地とされている場所です。
高野山の入り口から一番奥に建てられている「奥之院」には、今でも1日に2回、空海への食事が運ばれています。

これは、「空海は死去したのではなく、座禅を組んだまま永遠の瞑想に入り、今も奥之院で生きている」とされているからです。
なお、本山納骨や各種供養などは、この奥之院にある「灯篭堂(とうろうどう)」で行われています。

拝観時間拝観料
奥之院燈籠堂午前6時~午後5時無料

参拝時のマナー

ここからは、高野山金剛峯寺に参拝する際のマナーを解説していきます。

  • カジュアルすぎる服装や派手な服装は避け、なるべくフォーマルに近い服装にすること
  • 土足厳禁のところが多いので、脱ぎ履きしやすい靴を選ぶこと
  • 敷地が広いので、ヒールの高い靴は避けて、歩きやすい靴を選ぶこと
  • 僧侶に直接カメラを向けて撮影しないこと
  • 建物内では帽子を取ること
  • 携帯電話はマナーモードにするか、電源を切ること
  • 大声で騒いだりせず、静かに拝観すること
  • お寺内に置いてある、儀式に使う法具には、決して触らないこと

高野山金剛峯寺は観光地ではなく、信仰の場所であり、修行の道場です。
参拝の際には、必ずマナーを守るようにしましょう。

次は、実際に高野山金剛峯寺へ行く際のアクセス方法を紹介します。

高野山金剛峯寺へのアクセス方法

高野山金剛峯寺へのアクセス方法を説明していきます。
まずは、新幹線の停車駅でもある「新大阪駅」から、電車とケーブルカー、路線バスを利用する方法です。

新大阪駅から電車とケーブルカー、路線バスで行く方法

  1. 「新大阪駅」から地下鉄「御堂筋線(みどうすじせん)」に乗り換え、「なんば駅」で下車する
  2. 「なんば駅」から南海電鉄高野線の特急「こうや」に乗り、終点の「極楽橋(ごくらくばし)駅」で下車する
  3. 「極楽橋駅」から高野山ケーブルカーに乗り、「高野山駅」で下車する
  4. 南海りんかんバス「高野山駅前」停留所から路線バスに乗り、「金剛峯寺前」や「奥の院前」などの、目的地に応じて下車する

「新大阪駅」から「高野山駅」までの所要時間は、電車やケーブルカーなどの連絡時間を除いて、合計約1時間35分です。

車で行く方法

車で高野山金剛峯寺まで行く方法です。
ますは大阪方面からのアクセス方法を確認していきましょう。

大阪方面から車で行く方法

  1. 近畿自動車道「松原JCT」から、阪和(はんわ)自動車道に入る
  2. 「和歌山JCT」で京奈和(けいなわ)自動車道に入り「紀北かつらぎIC」で下りる
  3. 国道24号に入り、和歌山市方面(西方向)へ約2Km進む
  4. 「笠田駅前交差点」を左折し、国道480号に入り、南東方向へ約20Km進む
  5. 「大門交差点」を左折し、直進すると「金剛峯寺」や「奥之院」がある

「松原JCT」から「奥之院」までの所要時間は、通常時で約2時間です。

名古屋方面から車で行く方法

  1. 「名古屋西IC」または「名古屋西JCT」から東名阪自動車道に入る
  2. 東名阪自動車道「亀山IC」で下りて、名阪国道に入り、終点の「天理IC」まで行く
  3. 「天理IC」から西名阪自動車道に入り、「郡山南IC」で下りる
  4. 国道24号に入り、約25Km南下して、京奈和自動車道「五條北IC」から京奈和自動車道に入る
  5. 京奈和自動車道「紀北かつらぎIC」で下りたら、再び国道24号に入り、和歌山市方面へ約2Km進む
  6. 「笠田駅前交差点」を左折し、国道480号に入り、南東方向へ約20Km進む
  7. 「大門交差点」を左折し、直進すると「金剛峯寺」や「奥之院」がある

「名古屋西IC」または「名古屋西JCT」から、「奥之院」までの所要時間は、通常時で約3時間40分です。

高野山金剛峯寺への行き方を確認したら、次は高野山金剛峯寺の敷地内にある、宿泊できるお寺について紹介していきます。

高野山金剛峯寺には宿泊できるお寺「宿坊(しゅくぼう)」がある

高野山金剛峯寺の敷地内には「宿坊(しゅくぼう)」という、宿泊できるお寺が52か所あります。

宿坊では、肉や魚を一切使わない「精進料理(しょうじんりょうり)」を味わったり、朝のおつとめに参加したりすることができます。
また、宿泊はせずに、宿坊にて昼食のみをいただくことも可能です。

なお、宿泊と昼食のみの、どちらの場合であっても事前予約が必要となります。
事前予約には、宿坊の紹介も行っている「高野山宿坊協会」に予約する方法と、直接宿坊に連絡して予約する方法があります。
詳しくは「高野山宿坊協会」のホームページ、または、各宿坊のホームページで確認してください。

ここまで、高野山金剛峰寺の宿坊について解説してきました。
次は、高野山金剛峯寺に納骨する方法を見ていきましょう。

【宗旨・宗派は問わない】高野山金剛峯寺に納骨する方法

分骨、骨壺

真言宗の総本山「高野山金剛峯寺」では、「奥之院(おくのいん)」に納骨することができます。

高野山金剛峯寺の「奥之院」では、遺骨の一部を納める「分骨(ぶんこつ)」という方法で、納骨を受け付けています。
なお、納めることができる遺骨は「喉仏(のどぼとけ)」などの、小さい骨壺に入れた骨のみとなっており、納骨後の遺骨の返却はできませんので注意してください。
では、本山納骨について、納骨するための条件から順番に確認していきましょう。

本山納骨(分骨)ができる人の条件は「戒名(かいみょう)」があること

高野山金剛峯寺の「奥之院」では、真言宗ではない人でも、宗旨や宗派を問わず、納骨を受け付けています。
ただし、納骨の際には、死後または生前に僧侶につけてもらう名前である「戒名(かいみょう)」があることが、条件となります。

本山納骨(分骨)の申し込み方法

本山納骨は高野山金剛峯寺の奥之院にて受け付けています。
予約は不要で、基本的には申し込んだ日に納骨と供養を行ってもらえます。
納骨の際に行う供養は、奥之院の「灯篭堂(とうろうどう)」という場所でお経をあげる「読経供養(どきょうくよう)」という方法で、通常、1日に6回行われています。

受付日時費用読経供養の開始時間
本山納骨
(分骨)
毎日
午前8時30分~午後2時40分
(1月1日~3日は予約のみ可能)
納骨供養料
故人1人につき10万円
・午前9時~
・午前10時20分~
・午前11時30分~
・午後12時40分~
・午後1時40分~
・午後2時40分~

ただし、高野山金剛峯寺の行事によって、読経供養の開始時間などが変更となる場合があります。
なお、1月1日~3日は、納骨の申し込みはできますが、納骨と読経供養は1月4日からとなります。

本山納骨(分骨)の際に必要となる情報は7つ

本山納骨をする際、納骨申し込み用紙に7つの情報を記入します。

  1. 施主(申込者)の氏名
  2. 施主(申込者)の住所
  3. 施主(申込者)の連絡先
  4. 故人の戒名(ふりがなも必要)
  5. 故人の生前の名前である「俗名(ぞくみょう)」
  6. 故人の命日
  7. 故人が死去した時の満年齢である「行年(ぎょうねん)」

特に、戒名とふりがなについては、事前に調べてメモしておくなどの準備をしておきましょう。

【4つの手順】本山納骨の流れ

本山納骨(分骨)の流れを4つの手順でまとめました。

  1. 高野山金剛峯寺の奥之院に行き、納骨申し込み用紙に記入する
  2. 遺骨を預ける
  3. 読経供養に参列する(所要時間は約1時間)
  4. 僧侶とともに灯篭堂の裏手にある「納骨堂」へ行き、遺骨を納める

高野山金剛峯寺で行っている供養の種類と費用

墓石とお金

ここからは、高野山金剛峯寺で行ってもらえる供養の種類と費用を、順番に紹介していきます。
まずは、魂入れとも呼ばれている「開眼供養(かいげんくよう)」から、見ていきましょう。

位牌や仏画・仏像に魂を入れる「開眼供養(かいげんくよう)」

新しく位牌(いはい)を作った時や、仏壇などにまつる仏画・仏像を購入した際には、「開眼供養(かいげんくよう)」という、位牌や仏画・仏像に魂を入れる儀式を行います。

供養料
開眼供養供養するもの一つにつき1万円

ただし、開眼供養をしてもらえるのは、奥之院に持参できる大きさのものに限ります。

位牌や仏像などを処分する時の魂抜き「撥遣供養(はっけんくよう)」

不要になった位牌や、仏壇などにまつっていた仏像などを処分する時に、位牌や仏像などに入れた魂を抜く「撥遣供養(はっけんくよう)」という儀式を行います。

供養料
撥遣供養供養するもの一つにつき1万円

また、仏像を修繕する時にも、一度「撥遣供養」を行い、魂を抜いてから修繕をします。

こちらも開眼供養と同じく、撥遣供養をしてもらえるのは、奥之院に持参できる大きさのものに限ります。

位牌や仏像などを供養して焼却処分する「お焚き上げ供養(おたきあげくよう)」

不要になった位牌や仏像などを、火で燃やすことによって元の場所に還って頂くという供養のことを「お焚き上げ供養(おたきあげくよう)」といいます。

供養料
お焚き上げ供養供養するもの一つにつき1万円

ただし、魂を抜く「撥遣供養」が必要な位牌や仏像については、別途「撥遣供養料」として一つにつき1万円が必要となります。
また、金属製や石類などの焼却処分が難しいものは、受け付けてもらえない場合がありますので注意が必要です。

なお、高野山金剛峯寺では古くなったお札やお守りなどのお焚き上げも受け付けています。
お札やお守りなどのお焚き上げには供養料は不要で、灯籠堂内の「古札納め箱」に古くなったお守りなどを入れておけば、お焚き上げを行ってもらえます。

参考URL : 高野山真言宗 総本山金剛峯寺「祈祷と供養」

まとめ

最後にもう一度、今まで見てきた内容を振り返っていきましょう。

  • 真言宗の総本山は和歌山県にある「高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)」
  • 真言宗には18の本山がある
  • 真言宗は「空海(くうかい)」によって開かれた
  • 真言宗の教えは「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」
  • 高野山金剛峯寺は空海によって建立された
  • 高野山金剛峯寺には宿泊できるお寺「宿坊(しゅくぼう)」がある
  • 高野山金剛峯寺の「奥之院」では、宗旨や宗派を問わず「分骨(ぶんこつ)」での納骨を受け付けている
  • 納骨の際には「戒名(かいみょう)」が必要
  • 納骨の申し込みには、事前予約は不要で、基本的には申し込んだ日に納骨と供養を行ってもらえる
  • 高野山金剛峯寺では「開眼供養(かいげんくよう)」「撥遣供養(はっけんくよう)」「お焚き上げ供養(おたきあげくよう)」を行っている

真言宗の総本山である高野山金剛峯寺に参拝する際には、信仰の場であり修行の場でもあることを決して忘れず、マナーを守るようにしましょう。
また、高野山金剛峯寺に納骨する際には、あらかじめ「戒名」と「戒名のふりがな」を調べておき、メモを持参することをオススメします。


監修者コメント

監修者
終活・葬送ソーシャルワーカー
吉川美津子

高野山金剛峯寺という場合、金剛峯寺だけではなく高野山全体を指します。高野山の中には117ケ寺もの塔頭寺院があり、これら全体を含めて「境内地」となるわけです。奥の院は弘法大師が入定された(亡くなった)場所。奥の院墓所には豊臣秀吉や織田信長の供養等やUCC、ヤクルトといった企業墓や法人墓も数多いことで知られています。弘法大師御廟の近くに灯籠堂があり、そこに合葬納骨(全骨不可)することができます。

一般の人が求めやすいお墓となると、金剛峯寺が運営している「高野山中之橋霊園」がおすすめです。「○○家」として使用できる一般墓、永年管理墓(使用期間が決められている墓)、合葬墓があり各区画販売中です。