メキシコの死者の日をご紹介!キリストにおけるお盆のような供養行事

メキシコの死者の日をご紹介!キリストにおけるお盆のような供養行事

亡くなった祖先や死者を迎え入れる行事は世界中いたるところで見られますが、笑いと喧噪の中で行われるメキシコの「死者の日」は他と一線を画します。

一体メキシコで行われている『死者の日』とは、どのような行事なのでしょうか。

この記事では、『死者の日』に関する内容や歴史、またその他の地域で行われる特徴的な先祖供養の行事についてくわしくご紹介いたします。

この記事の目次

  1. 10月31日~11月2日はメキシコ『死者の日』
  2. ピックアップ!世界にある「先祖供養」にまつわる行事
  3. まとめ

10月31日~11月2日はメキシコ『死者の日』

メキシコのお墓

「死者の日」はキリスト教圏におけるお盆のようなもの。キリスト教では、10月31日のハロウィン、11月1日の万聖節(諸聖人の日)、そして11月2日の万霊節(死者の日)の3日間は、死者や祖先に祈りを捧げる期間として過ごします。

そんななかでもメキシコの死者の日は特筆するものがあります。「死を笑い、親しむ」とされるメキシコ人の死生観がよく表れており、メキシコ各地の町ではにぎやかなお祭として盛り上がりをみせています。

メキシコが生んだノーベル文学賞詩人であるオクタビオ・パスは、代表的著作『孤独の迷宮』の中で、メキシコ人の死生観について次のように語ります。

ニューヨーク、パリ、あるいはロンドンの住民にとって、死は唇を焦がすからと決して口にしないことばである。反対にメキシコ人は、死と親しく出会い、死を茶化し、かわいがり、死と一緒に眠り、そして祀る。死はメキシコ人のお気に入りのおもちゃであり、不滅の恋人である。

参照:孤独の迷宮 から引用

メキシコ人たちはどのような死生観を持ち、死者の日を過ごすのでしょうか。

狂騒と喧騒の中で死者を迎え入れる3日間

3体の骸骨人形

メキシコの死者の日は、10月31日の夕刻から始まります。ハロウィンにあたるこの日はいわば前夜祭のようなものです。

11月1日は若くして亡くなった子どもの魂が、2日には大人の死者が戻ってくるとされています。

死者の日の3日間、町には露店があふれかえります。店頭では色鮮やかなマリーゴールドが独特のにおいを放ちながら並びます。屋台では豚肉や牛肉のグリル料理が大串に刺されて売られ、軒先のスピーカーからは大音量の音楽が流れます。

自宅には祭壇を飾り、あふれんばかりのお供え物を並べます。また、多くの人がお墓参りに出向きますが、墓地にはマリーゴールドやお香の独特の匂いが包まれ、歌を歌う人や踊る人だけでなく、バンド演奏も見られるといいます。

死者の日の「骸骨」はメキシコ人の死生観や国民性の象徴

メキシコの死者の日の飾り

メキシコの死者の日でいたるところで目につくのが骸骨です。カラフルな骸骨の置物(カラベリータ)や、頭蓋骨やクロスボーンが刻まれた死者のパン(パンデムエルト)などが店に並ぶだけでなく、街行く多くの人が顔に骸骨メイクを施し、カラフルな衣装を身にまといます。

古代のメキシコでは祖先の骸骨を身近に飾る風習があり、戦の際には敵の頭蓋骨をトロフィーのように扱う習慣もあったと言われています。

現在のように、死者の日と骸骨を結びつけたのが、民衆版画家ポサダ(1852–1913)の「骸骨貴婦人カトリーナ」です。

メキシコ人の死の概念をユーモラスに比喩しただけではなく、スペインに侵略を受けたメキシコ人の悲哀が表されていると言われています。

スペインによって植民地化された先住民たちは、自分たちの生活や文化を捨てて、ヨーロッパのスタイルを真似ようとしました。カトリーナも、浅黒い自身の肌を白人のようにするために白塗りのメイクをしたと言われており、こうした当時の世相に対しての風刺を、ポサダは骸骨貴婦人に込めたのです。

また、ロシアの哲学者バフチンは、骸骨が大口を開けている姿は、まるで死者が生への欲望から食べ物を貪り食う姿をイメージさせているとし、快楽と死が背中合わせにあることを象徴しています。

そもそもメキシコの死者の日は、キリスト教の影響を受けてはいるものの、マヤ・アステカ文明から続く祖先崇拝の文化の影響の方が強く残っているといいます。

生死は円環するという土着の死生観と、征服の歴史の中で民衆が味わった苦難に対しての人々の怒りや悲哀のを表す骸骨は、ポサダの版画以降、メキシコの死者の日の象徴として不動の地位を得たのです。

ピックアップ!世界にある「先祖供養」にまつわる行事

ベトナムランタン祭り

明るい先祖供養はメキシコ人のラテン気質によるものと思う人もいるかもしれませんが、実は私たちが住むアジアにも、明るい先祖供養はたくさんあります。

中華圏:中元節(ハングリーゴーストフェスティバル)

中国、台湾、マレーシア、シンガポールなどの中華圏にとっての死者供養といえば『中元節(ちゅうげんせつ)』です。別名、『ハングリーゴーストフェスティバル』とも呼ばれています。

中国暦の7月は「ゴーストマンス」、7月15日の中元の日は「ゴーストデイ」と呼ばれています。7月は日本にとってもお盆の季節で、中国の中元節にその由来があります。

中元節には家や会社の前にお供え物を並べ、線香を焚きます。また、お墓参りをしたあとに灯篭を流したり、親戚や知人にはお供えの贈り物をします。ちなみにこれが、日本でも行われているお中元の起源です。

中華圏の大切な年中行事に道教由来の「三元」があります。上元節は旧暦の1月15日、中元節は旧暦の7月15日、下元は旧暦の10月15日に行われ、それぞれ、天官大帝、地官大帝、水官大帝という神様を祀り、お祝いをします。その中でも、中元で祀られる神様「地官大帝」はあの世の神様。7月1日は地獄の門が開くとされ、人々は死者のさまざまな罪が許されるよう祈ります。

そこにインドからやってきた仏教の教えが加わり、「盂蘭盆会」が催されるようになりました。日本でも行われるお盆の起源です。盂蘭盆会は、餓鬼道に堕ちた母を救う仏教説話が元になっていますが、餓鬼とは英語訳すると「ハングリーゴースト」となり、こうして中華圏の地域ではハングリーゴーストフェスティバルが行われているのです。

沖縄のシーミー(清明祭)

沖縄の先祖供養といえば『シーミー(清明祭)』です。沖縄のお墓は人が住む家ほどの大きさがあり、お墓参りの時には墓前に料理やお酒を並べて宴会をすると有名です。

『シーミー(清明祭)』はいまでも中国や台湾などで、春分の日から15日目に行われる祝日のことです。お墓参りや宴会をして祖先とともに過ごし、この風習は現在の沖縄でも行われています。

日本では清明節を休日に定めていないため、沖縄の『シーミー(清明祭)』は毎年3月下旬や4月の上旬の土日などに行われます。

また、日本は新暦を採用していますが、沖縄の人たちはいまでも生活習慣の中に旧暦を取り入れているため、シーミーを行う時期は毎年変わるのだそうです。親族の男性はお墓を掃除して、女性は伝統的な重箱料理を作り、ご先祖様との楽しい時間を過ごします。

ベトナム:ランタン祭り

ベトナム中部に位置するホイアンという町では、毎月旧暦の14日、町中の灯りを落としてランタンを吊るします。

ランタンの色は、赤、青、紫、白などとカラフルです。年に12回しかないこの日は、月明かりのランタンだけとなり、その美しさから多くの観光客を集めています。夜の8時頃はから川で灯籠流しが行われ、ランタン祭りの目玉の1つです。

もとは先祖を敬うための大切な儀式だったランタン祭り。特に旧暦7月はブーラン祭と呼ばれ、ベトナムではこの1ヶ月間はご先祖様を供養する期間としています。

仏教国であるベトナムでは、7月14日や15日の盂蘭盆会をを中心に、ご先祖様や浮かばれない無縁の霊のために軒先にお供え物を並べ、お寺にお参りをします。ブーラン祭と相まって、7月のランタン祭はより幻想的な雰囲気に包まれることでしょう。

まとめ

メキシコの死者の日をはじめ、いくつかの先祖供養に関する行事をピックアップしました。

考えてみれば、日本の各地で行われる盆踊りも、笑いと喧噪の中で死者とともにいることを喜ぶ踊りだったと言われています。

メキシコの死者の日や中華圏の清明節など、わたしたちは亡くなった人のとともにこの世界を生きているのかもしれませんね。